▶ 三重県総合博物館より引用(関係者と神富殖産とのやり取り)

▶ 神富殖産㈱六軒分店に保存の膨大な資料が三重県総合博物館に寄贈された

 ・HP作成にあたっては、三重県総合博物館の所蔵資料検索データベースを利用いたしました

 ・総計で42,074 アイテムがあり、全ては無理なのでキーを指定して抽出しリスト化

 ・土地や用水や農業や養魚に関することは原則として、神野新田関係について抽出してます


▶ 50音目次へリンク


▶ 三重県総合博物館の検索の仕方


 ・六軒分店に大量に保管されていたの資料が三重県総合博物館に寄贈され、 42,074 件 が公開されている

 ・資料は多岐にわたっており目次のみ公開、詳細の閲覧は事前に予約が必要である

 ・ここをクリックすると、横断検索の先頭ページにリンク(下の大項目は「神富殖産」で検索した結果)

 ・大見出しの3行の文言をクリックして、目次にある概要情報を表示させる手順です

  (下の画像は、いずれもクリックで拡大表示します)

 ・資料の添付品の閲覧は博物館に事前申請し許可が出た後に博物館での閲覧となるようだが、目次の情報

  だけでも多くのことが読み取れる


▶ 六軒分店があった場所

 ・六軒分店は六軒茶屋があった場所に建てられたとあり、六軒茶屋近くに道標が建てられたとある

 ・上の右のストリートビューを進むと道標が見え、左下の道標と同じものと分かる

 ・上の六軒分店の画像が、その右のストリートビューと同じアングルだと証明できた



大 目 次

目 次



▶ 神富を何と読むか

 ・明治38年に神野富田殖産合名会社を設立、当時は神野(ジンノ)を名乗っていたので、ジンノトミタ

  殖産のはず

 ・明治41年に神富(ジンプ)農会の設立時の資料にはルビ付きで、神野富田カミノトミタ殖産とあり、

  神野(カミノ)に改姓した後のためか?会社名の読みも変更したと考えられる

 ・大正7年に神富殖産設立、大正8年に神野富田殖産合名会社と合併して「神富殖産株式会社」としたが

  ルビ付きの資料が無く、今となっては読みを確認する術はないが「カントミ」と推測する