・明治37年
愛知県渥美郡牟呂村
神野新田開墾事業成績 神野金之助
嚮ニ毛利祥久起業ノ後ヲ承ケ服部長七ノ人造石
工法ヲ採用シ勇敢経営克ク自然ヲ制シ排水灌漑拓地移民
着々機宜ニ適シ遂ニ此偉業ヲ完成セリ其他牟呂用水ヲ精
穀運材発電等ノ用ニ供シ更ニ之ヲ分水シテ三村数百町歩ノ
灌漑ニ便スルカ如キ規画周到洵ニ斯業ノ好模範タリ
審査官 従 七 位 有働 良夫 ㊞
名 審査官 従 七 位 上野英三郎 ㊞
誉 審査官 従 六 位 月田藤三郎 ㊞
銀 審査官 従五位勲六等農学博士 澤 野 淳 ㊞
杯 審査官 従五位勲五等農学博士 酒匂 常明 ㊞
審査部長 従三位勲三等 田中 芳男 ㊞
審査部長 正三位勲一等男爵 大鳥 圭介 ㊞
審査ノ成績ニ依リ前記ノ賞牌ヲ授与ス
明治三十六年七月一日
第五回内国勧業博覧会総裁大勲位功四級載仁親王 ㊞
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先に毛利祥久が起業した後を受け、服部長七の人造石工法を採用しで勇敢に経営し、良く自然を制御し宅地の排水や灌漑を行った。
移住して来た農民も着々と増えてきて、ついにこの偉業を達成した。
その他、牟呂用水を精穀や薪材の運搬や発電などに利用し、さらに用水を分水して三村(牟呂・花田・吉田方)の数百町歩の灌漑に利用するなど計画が周到で、まことにその業績は良い模範である。