神野・富田田の両家が一心同体で資産管理をするための要則、文章は原文で音声は現代化してます。
家政要則告文(現代語化)
私より謹んで申し上げるに、先祖や両親より高徳や無限な大恩を戴き、その教えを守り、信用を失わないことで、後の世の子孫の繁栄を計ります。 祖先両親の訓戒をはっきりと証明し、家政要則を成立し箇条書きで明示し、内部には神野、富田両家の子孫を正道に導き、外部は親族間の助け合いの道を広め永遠に尊行させ、益々神野富田の土台を固め、神野・富田、及び両家より分家した相続人の慶福を増進しなさい。ここに家政要則を制定する。
顧りみるに私は末っ子で、兄は4名あった。しかし3名は不幸にして短命にて亡くなった。一名は富田家に養子となり、同家を相続した。家の運営は慎重で手抜かりなく、業績はしっかり残した。しかし明治9年9月、黄泉の国に旅立った。享年40歳。ここに相続すべき者が無かった。やむおえず、兄の実子で、私の養子となった吉太郎を復籍させて相続人としたが、未だ5歳の幼児のため、家事を整理することは出来ず。そのため一時両家を合併し、両親の協力により、ここに至った。私は既に43歳になるが、未だ信認できる相続人は無い。したがって、もし誤って後の代の相続に於いて紛糾を生じる時は、両家の祖先、及び父兄に対し面目が立たない。これが家政要則が必要な理由である。思うに私は15歳の若さで、両親より戸主の大任を承継し、また28歳の時より富田家を併わせて引継ぎ、祖先両親の訓戒を守り、一生懸命仕事し勉強も怠らなかったが、恐れたり不足することが起こるかもしれない。そのため現在、及び将来ノ両家子孫、並びに分家、かつ雇人は、私のために、この要則を履行補佐する責任を任命する、親族一同はこれを補佐することを決心せよ、私は自から頭取となり、家業を整理し、後年には信認できる相続人を撰び、これに承継させて、共に一緒になって後の代まで永久に強固にすることを誓う。切に願うは先祖両親のご加護であります。
明治二十四年二月十一日 神野金之助
家政要則告文(原文)
予謹而惟ミルニ 祖先両親ノ高徳無窮ノ鴻恩ヲ奉戴シ、旧図ヲ保持シ、敢テ失墜スルコト無ク、而シテ後代ノ隆盛ヲ計ラントス。祖先両親ノ訓戒ヲ明徴ニシ、家政要則ヲ成立シ条章ヲ明示シ、内ハ以テ神野、富田両家ノ子孫ヲ率由スル所ト為シ、外ハ以テ親族翼賛ノ道ヲ広メ永遠二尊行セシメ、益々神野富田ノ丕基ヲ固ニシ、神野、富田及両家ヨリ分家ナシタル相続人ノ慶福ヲ増進ス可シ。茲ニ家政要則ヲ制定ス。顧ミルニ予ハ季子ニシテ、兄ハ四名アリ。而シテ三名ハ不幸短命二シテ死ス。一名ハ富田家二養子シ、同家ヲ相続ス。家政慎重周到、共效績顕然タリ。終ニ明治九年九月、九泉ノ客トナル。行年四十歳。茲ニ相続ス可キモノナシ。不得止、予ノ養嗣子吉太郎ヲ以テ相続セシムト雖モ、未ダ五歳ノ幼児ニシテ、家事ヲ整理スルコト能ハズ。依テ一時両家ヲ合併シ、両親ノ補翼に倚り、茲ニ及ベリ。予既ニ四十有三二及ブモ、未ダ信認ス可キ相続人ナシ。然ルニ若シ誤テ後代ノ相続ニ於テ粉更ヲ生ズル時ハ、両家ノ祖先及父兄ニ対シ何ノ面目アランヤ。是レ家政要則ノ必要アル所以ナリ。按フニ予十五歳ノ若齢ニシテ、両親ヨリ戸主ノ大任ヲ承継シ、亦廿有八歳ノ時ヨリ富田家ヲ併続シ、祖先両親ノ訓戒ヲ守り、拮据勉励怠ラザルモ、或ハ恐ル其及バザルコト有ラン事ヲ。故ニ現在及将来ノ両家子孫並二分家且ツ雇人ハ、予ガ為メニ此要則ヲ履行補佐スルノ責ニ任ジ、親族一同ハ之レヲ補佐セラレンコトヲ期シ、予ハ自カラ頭取トナリ、家務ヲ整理シ、後年信認ス可キ相続人ヲ撰ビ、之レニ承継セシメテ、与二倶二 後代永久に鞏固ナラシメン事ヲ誓フ。庶幾クハ祖先両親之レヲ鑑ミ給マヘ。
明治二十四年二月十一日 神野金之助
▶ 当時の資料