神野金三郎

 ・金平さんを伯父と呼び神野佐十郎が父とあるので2代佐十郎の子供、清児と兄弟になるがスケッチの

  昭和5年と関係があるなら清児の弟と思われる

 ・東京都立図書館に名古屋の神野金三郎の建物の手書き見取り図があり、同一人物かも

 ・ここをクリックで見取り図のソースにリンク


▶ 三重博の情報から

 ・父佐十郎から三郎と、金平を伯父と呼んでいることから、清児と兄弟と考えられる


▶ 金三郎の住所

 ・金之助邸は南久屋1丁目4番地、北隣の上遠野富之助は1丁目3番地

 ・金三郎の住所は南久屋88なので金之助邸とは少し離れていると思われる



▶ 金三郎と名古屋鉄道

 ・金三郎が左下にあるよう副社長はあり得ない、2代金之助と勘違いか?



▶ 東京都立図書館のスケッチ

 ・スケッチを描いた木子幸三郎は皇室関係も手掛けた建築家

 ・名古屋の神野邸とあり、昭和5年頃とあるのは南久屋の邸宅と関係があるかも

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▶ 木子 幸三郎

・ウキペディアから、木子 幸三郎(きご こうざぶろう、1874年(明治7年)8月29日 -

 1941年(昭和16年)2月14日)は、日本の建築家。皇室関係の建築を多く手がけた

 ことで知られる。族籍は東京府士族

 

・東京都立図書館によると政府の高官の様で、皇室や政府からの招待状が膨大に

 保存されている、一般の家にかかわるような方ではない

 

・画像は東京都立図書館でパブリックドメインで公開されている



▶ 木子 幸三郎の作品(神野家とは関係は無い)